1923年(大正12年)9月1日11時58分、相模湾沖を震源とする震度7・マグニチュード7.9の地震が発生し、死者・行方不明者が推 定10万5000人、建物全壊が10万9000棟、建物全焼が21万 2000棟となった。
この地震の特徴は、死者数の多さとその原因の一つが、火災によるものだったということです。住民が家財道具をリヤカーに積むなどして避難所に集まったため、それが燃え草となり延焼し、火災旋風を発生させ 4万人が焼死しました。
下町などでは自分の町に対する愛着心と連帯感で、住民がバケツリレーで延焼をくい止めた成功事例もありました。