1971年(昭和46年)7月30日、岩手県岩手郡雫石町上空で日本空輸の旅客機と訓練中の自衛隊機が衝突、2機とも空中分解し乗客乗員 162人が全員死亡、自衛隊機の乗員1名はパラシュートで脱出し水田 に降下し生還した。また、全日空機の車輪の残骸が民家の屋根に落下、屋根を破壊し住民1人が負傷した。
事故の原因は、自衛隊機が旅客機の飛行ルートに侵入したことに気が付かず飛行し、自衛隊機及び旅客機双方の衝突回避の対応が遅れたためだと考えられています。
当時、全日空機にはボイスレコーダーは設置されてなく、常設の航空 事故調査委員会も設置されていませんでした。