1990年11月17日、雲仙普賢岳が噴火、火砕流により死者 40名、行方不明3名、負傷者9名が発生した火山災害としては、 極めて悲惨な災害となりました。
当時、27歳の粋がった救助隊員は、耐熱装甲車という特殊な消防車に、酸素呼吸器を積載し出動の準備をしていました。しかし、出発の直前に中止になり、残念な思いをしていました。
次の日、自宅のテレビで火砕流の映像 が流れた時、幼い長男を抱いて泪を浮かべる妻を見て、事の重大さに気が付きました。自分には愛する家族がいるのだと・・・
1990年11月17日、雲仙普賢岳が噴火、火砕流により死者 40名、行方不明3名、負傷者9名が発生した火山災害としては、 極めて悲惨な災害となりました。
当時、27歳の粋がった救助隊員は、耐熱装甲車という特殊な消防車に、酸素呼吸器を積載し出動の準備をしていました。しかし、出発の直前に中止になり、残念な思いをしていました。
次の日、自宅のテレビで火砕流の映像 が流れた時、幼い長男を抱いて泪を浮かべる妻を見て、事の重大さに気が付きました。自分には愛する家族がいるのだと・・・